このコーナーでは毎回、
雷門小福による自らの歩み、名古屋を中心とした芸界の話しなどを地道に紹介いたします。

第3回
我が中学生日記。「3日やったらやめられぬ」の巻。
K それでは戦後復興最中の、学生時代の話しをお聞きいたします。

小福(以降、小) おう、そうだな。

K お話しを伺ってますと、師匠は子供の頃から人前に出るのが好きだったようですね。

小  そうなんだろうな。うん。目立つことがだなぁ。
   でな、卒業写真見せてやってもいいんだがな俺はな、戦後まもなくだぞ。みーんなクリクリ坊主の中、俺だけわな長髪。おかっぱ頭だったんだ。

K へぇー。それは目立ちますよねー。

小 おう。何せ、全校でひとりだけ。小学校から中学校までずっーと。中学出て、社会人になるまでもな。

K あぁ、若い頃から髪の毛を酷使したために今日、そのような髪型になったということですね。

小 おう。えっ? 何ィ!? そんなこたぁないだろ。・・・。

K 師匠は中卒ということですか?

小 そう。当時はそれが普通。俺たちのころはなぁ、凄いんだよ。1クラスに60人。それでK組まであったんだ。

K Kだとぉ、ABCD・・・・K。11組!!

小 11組だ。

K 1学年で660人!!

小 そう。

K で、その中でたった一人、長髪ですか?

小 そうだよ。で当時、何かと女の子のうちをくまなく訪問してだな・・・。

K おーーー。それは何気に“俺はもてたんだ”というわけですな?

小 んんん、まぁまぁ。そんなところだな。
   でまぁ、それはともかくとしてだ。俺はなぁその頃、絵だな。アート。その中でも俺は写実派だ。いわゆる風景をそのまま描くというようなやつだな。そういうのが得意でな。

K そうなんですかぁ。

いざ、出陣の準備。大須演芸場楽屋2号部屋にて。
(03.02.21撮影)

「私はお客様の人相を見た上でネタを決めます。では一つ今日のところは、泥棒のお話しを一つ・・。」
(03.02.21撮影)
小 でな、ある時ポスターをだな。忘れもしない。全国でな、火の用心のポスターを募集したわけだ。で、俺はとにかく絵はうまかったから作品を出したんだ。そうしたら金賞だ。

K えっー!! 全国で。

小 そう。・・・。いや待てよ。あれは全国じゃない。名古屋市内でということかなぁ。

K 急に規模が小さくなりますねぇ。忘れもしない割には忘れてますし・・・。

小 おう。名古屋だな。名古屋で最優秀賞を獲ったんだ。で、消防署長がわざわざ学校に来てよぅ、朝の朝礼で、

K 全校生徒の前で

小 そう、全校生徒の前で表彰状をもらったわけだ。

K そうだったんですか。で、今はもう書かないんですか?

小 だからよぉ。今書いてりゃ、(林家)木久蔵みたいにだなぁ、お金になって・・・。

K アハハ。師匠の話しは全部、お金か女の話しになるんですねぇ。

小 うん。で、それも中学でやめちゃうんだけどなぁ。
   だけど中学時代はその実力を買われて、中学の演劇部のバックだな、背景画をだなぁ、描いたんだな。

K 書き割りってやつですか?

小 そうそう。演劇部の書き割りを頼まれて描いてたんだ。そうしたらな。ある日、その部員に欠員ができたんだな。で、俺に代演をやってくれというんだ。「いいよ」って。それやったのがそもそも、やみつきになったんだな。

K 人前に出るというのが。

小 うん。

K いわゆる、芸人と乞食は3日やったらやめられぬといった感じですか?

小 そうそう、まさにそれ。でな、あれよあれよと演劇部長に祭り上げられてまってよー。あずま中学校の。でな、その3年後輩にアマチンだな。天野鎮雄(俳優、女優・山田昌とのおしどりぶりは東海地区では特に有名)が入ってきてな。入ると同時におれは入れ違いで卒業したわけだ。

K そうだったんですか。

小 だから俺がそもそもこういうような芸能の世界に入ったきっかけは、この中学時代に欠員が出たというところにあるわけだな。

K 単なる偶然ということですか?

小 そうだな。やってみりゃ、女の子に「キャーキャー」言われてよぉ。こりゃええわいと。

K では卒業なさってからは?

小 地元名古屋にだなぁ、“名古屋青年劇団”という劇団があったわけだ。そこに入ったわけだな。
中学卒業後、芝居の世界に活路を見出した小福。
その後いかなる展開が待ち受けているのか。
(続く・・・。)

[おしゃべり館TOP]