名古屋移籍の第一の恩人である我が師、小福師匠が姫企画過去4回の開催のうち、一度も登場していないという点、重々意識はし続けておりました。
 今回、満を持しての登場と相成った。雷門ファミリーのみで構成しようというわけですんなりと会の名称が「第一回名古屋雷門祭り」と決定。
 第一回と銘打つ以上、2回目開催を想定し、出し惜しみを考えるものだが然し、出し惜しみ一切なーし!! つまり「これ以上は無いよ、本当に」ってな会にするという方針のもと、木戸、お土産、特別鼎談(ていだん)にいたるまで、ダレ場ゼロの会を作り上げたいと考えた次第であります。

(文責 雷門幸福)



 当日、小福師匠は昼の一般公演に名を連ねていたのであった。
 昼の3席(しかも3回目はお客さん一人!!)の後、夜の特別公演。
鼎談、口上も入れれば一日6席やったに等しい。精神的のみならず、
身体的にも死ぬ気の舞台であったわけである

 写真は、その昼公演の食事風景。「おい、お客さん来るのかョー」
「さぁ、分かりません」そんな会話。
そして夜が更け、大須演芸場特別公演の時が近づくのである。

当日用意したプログラム。来場者の多さに皆さんに行き渡りませんでしたので、
ここで特別に公開しておきます。


プログラム表紙と裏
プログラム中身
出演者紹介


 この演芸場に雷門福助の文字が躍ったのも果たして何年ぶりのことか?
 例によって、獅篭氏による特別看板のおでましなのである。

どうです。一見さんも気になる公演なわけですよ。これが。当日券の伸びが実に著しい会なのであった。
前日のテレビの宣伝ってやはり大きいのね。これが。

姫企画史上初の花が玄関に登場!!
その数10基ほど。
THIS IS 寄席の活気。普段を知るものにとっては実に涙ぐましい絵である。

 小福師匠の同級生、あずま中学3年C組の皆々様より、師匠のみにあらず、雷門兄弟にまでお花が!! じっくり観る余裕はいささかもなかったけど・・・。

 どーっすか!!
 開場遅しと行列ですよ。この中に獅篭ママが居ることを付け加えておく。
 息子の舞台を一列目でかぶりつきで見る親を見たのは生まれて初めてであった。息子のルーツはここにあることを痛感させられた一日であった。
 わざわざ遠方からのお越し、ありがとうございました。

開場でござんす。
お約束どおり、お越しの方全員に獅篭責任編集、名古屋雷門の歴史が丸ごと分かる「少年サンダー」進呈の図。
これには名古屋っ子も大満足・・・のはず。

久方振りの再開。福助直系の
ツーショット。貴重!!

 開演3分前。緞帳の内側では四者揃い踏みの記念撮影が!!
 緊張の舞台を目前に控えているにもかかわらずスペシャル笑顔の四人衆。
これもレア−!!
それではお待ちかねの開演といきませう。

 四人揃い踏みの口上で幕開け。
小福師匠、自らの落語家50周年の報告に突如の涙っ!!
 そりゃ、福助亡き後、周囲に組織に支えられるでなく名古屋落語・孤高の存在であり続けたのだから、感極まるに決まってる。 しかし、その情にも淫する訳にはいかないのが役割なのよね。落合監督が谷繁の本塁打に表情変えなかったやつ。あれと同じ。

「私には、過ぎたる弟子でございます」って!! 間違いなく恩人です。奢らず精進いたします。
「隅から隅までぇー、ずずずいぃーとぉー、よろしくたのむわなも!!」
締めは名古屋弁。
さっきの涙は一体何!?

開口一番。私です。子ほめです。
チラシの絵、作者のみが上げ底であることを厳しく指弾の図。

 雷門祭りですから、どこかで踊りを入れないことにはね。
 私、やりましたわ。かっぽれです。海老様と同じ家紋つけて踊るって凄いことだわ。落語界では雷門だけだものなぁ。

 出ました。今夜注目の舞台がこの方。はるばる岡山から登場の雷門喜助師匠。
前日、赤い着物を用意すると聞いて濃いワインレッドのような色を想像してたら、まさにまっ赤っか。
 口上の時の黒紋付も、着物の質が私のとはまるで違う。光沢が違う!! 今着てる黒紋付なんか、家紋がはがれるもんね。時々。

当夜、客席からは賞賛の舞台でした。短命。
ありがとうございました。
お楽しみ仲入り。演芸場正面、自販機“師匠”をご利用ください。

 さて、後半幕開けは皆さんお楽しみの特別鼎談“福助の思い出”。舞台上には大型スクリーンとプロジェクターを投入3者のお話に色を添えた。貴重な写真のみならず、動く福助つまり、貴重なビデオも公開。8割強のお客さんが福助師を見たことがない以上、このビデオ公開は不可欠であった。

もう観れません、この3者。左から小福師、足立席亭、“落語界のシーラカンス”名付親・黒川氏。噂によるとこの鼎談、次期・少年サンダーにて活字化されるらしい・・・。鼎談が本会の勝敗を左右する。私の客観分析です。

さて、当日公開した貴重映像から。話芸は語りのみにあらず。しぐさもその芸の内との力説の後、その実演。これは“鬼は外”の固い豆を食べるしぐさ。この絶品さに、
場内唸り声が渦巻く。これ見せての鼎談と、これ無しとでは大違いだと思いません???

 本日のこれまたハイライト。福助・小福親子による楽屋コント。「おまえあのそばの喰い方、ありゃセコだよー」「えっ、そうっすか!?」「ちょっとやってごらん」
(右写真へ・・・)

このそばを持ち上げた箸の高さを見よ!!
「あぁーん、ダメダメ!!」
福助師、思いっきりダメ出しです。このとき小福師50歳。東京の噺家なら幹部。いくらテレビ側の要望とはいえ。そこが我が師匠の凄いところなのだ。

鼎談の幕開けは福助師が実際に大須に上がった時のテープを使い、鼎談の締めは福助・小福親子会の楽日の追い出し時のテープを掛けた。大須定席終演名物“謎のスキャット”がこの頃から使われていたという驚愕の事実をあそこで盛り込んでおいた。このメッセージ、誰が気が付いたであろうか・・・。
 謎のスキャット明けに登場は獅篭さん。恐らくこの人が大須に移籍して、一番舞台に上がりやすい雰囲気だったのでは。

 ネタは福助一八番の“勘定板”。
福助師の勘定板は名人・文楽をして「福ちゃんにはかなわないでゲス」といわしめた演目。ネタおろし、よーく間に合わせましたです。おめでとうございます。

 落語家生活50周年。不覚にも私がその50周年に気が付いたのは、黒川さんの記事を拝読してからのことである。それが証拠に、チラシには50周年のことが一言も触れられていない。そんな節目の年に名古屋で初の一門会を開催できたというのは、狙ってそうしたわけではなかった分、実に絶妙なタイミングであったのだ。
 この時点で本日4席目。あの身体では堪えるはず。立場上、じっくり聞けないのが悔しかったのである。

大トリは、今や雷門のみしかやらなくなった“仕立ておろし”。この日があったためであろう、先月の定席から師の落語は普段の時以上に気合いを感じた。
下げの後、緞帳が静かに下りる中、師匠が滂沱の涙。とにかく泣いた、泣いた。移籍一年でここまできたとは。正直、予想してなかったなぁ。

 かくして姫企画5・第一回名古屋雷門祭りは無事、大盛況のウチに幕を閉じた。私は今回、取り掛かる当初から、東京の人に“あっ、観に行きたい”と一瞬だけでも思わせるような“純名古屋産”の会を作ってみたいと思っていました。それが今回の動機付けの全てです。
 ご来場誠にありがとうございました。
(観衆225名、満員札止め)