過去をあまり語りたくないですが、出自をごまかすのだけは
しちゃいけないのでなんとかします。

雷門幸福の経歴
昭和47年4月 1日誕生。生まれて早々、腎臓の疾患で高い確率で死にかける。

 地元小学校、那加第二小学校を卒業。
 那加中学校入学。3年生の時学校が分離。桜丘中学校に移籍。
 担任ともめて、修学旅行へ一人だけ行かず。自閉的且つ何ともならない少年時代を過ごす。
昭和62年4月 私立岐阜東高等学校入学。

 上記生活を送る者の内申書が良いものであるはずもなく(「お前そんなことしてると、内申書に書くぞ」「はいどうぞ」こんな毎日。)、誰でも入れる高校に入学。結果、これでよかったと思う。
 在学中は退学者リストに挙がったこともあり。たばこも吸わず、ガラスも割らず、暴言もはかない生徒が何故退学扱いなのか、これ以上書いてもしょうがない。
平成2年3月 同卒。

 代々木ゼミナール名古屋校に粛々と通う。
 アラン・プロスト派。
平成3年4月 立教大学理学部物理学科入学。

 一応、卒業校に報告するのが筋と考え「ここと、ここと、ここと、ここが受かりました」と報告した突端、教師の態度が一変。尊敬できない大人の性格の底割れを目の当たりにする。
平成7年3月 同卒。

 厳しい就職戦線にもかかわらず、落合を獲得し、覚悟のシーズンを迎えた長嶋ジャイアンツに没頭。いまだ、後悔していない。
平成7年4月 立教大学理学部物理学科修士課程入学。

 喜んで入学というよりは行き場がなくてしかたなく。わがままな奴である。
 しかし、修士になったとたん、教科書が横文字化しあきれ果てる。その折、大発明家のラジオを聴き「人員募集」を知る。いよいよお待ちかね、転落人生の火蓋が切られた。
平成7年6月 同上中退。

 この年の3月、地下鉄サリン事件が起こり、世の中、こと若い世代の心象は実に大揺れの時期を迎える。私もその影響下に存分に浸っていたことを素直に認める。実に負の時代であった。
しかし数年後、伝統回帰の立場に辿り着くことになったのは、この負の時代を経験したからであると断言できる。だとすると正の時代になるのか・・・。
平成7年7月 ドクター中松総合研究所入社。
平成7年12月 暮れのラジオ番組、「ドクター中松の頭の良くなるラジオ」(ラジオ日本、一番右端)の年間ベストテンにて、「ラジオから新入社員誕生」が堂々の8位入賞。
 
 転落期に浸ってることを自分だけが気づいていない。
平成9年1月 同上退社。

 自身は堅気の仕事に向いていないことを痛感。尤も、今までいた会社が堅気であるのかという疑問が残りはするがしかし、退社時点で落語家になることを決めていた。堅気の期間中、足繁く国立演芸場の「談志・ひとり会」に通う。
平成10年7月 7日。七夕。落語立川流家元・立川談志門下入門を認められる。

 退社からこの日まで1年半の歳月が過ぎているのは、談志師匠の大病があったため。よく1年半も待機してたものだ。相当に意思が硬かったと推察される。
平成10年11月 早々に芸名がつく。立川談号。

 命名は同席していた、西部邁氏。おりしも世は、ゼネコン談合騒ぎが一色であったからと思われる。
平成14年5月 21日。前座6人に破門が宣告される。

 前日20日。にっかん飛切り落語会・イイノホール楽屋入り口、にこやかなる顔にて「お前ら明日クビにしてやる。楽しみにしてろ。」の一言で激動の火蓋が切って落とされる。
 性格上「何故だ?」と思わず、「来た来た来た。遂に来た。」と悲観主義の底力によってマインドコントロール。
 ただし、芸の精進において復帰を許せる基準を満たせば復帰を認めると通達される。以降、復帰の為の精進が始まる。珍しく前向きな時期を過ごす。
平成15年5月 20日。東京は台東区、伊豆栄・梅川亭お座敷にて復帰試験。一発勝負との宣告を真に受けて臨む。

 性格上、こういうことの当事者になる瞬間こそ生きた心地がする。人生が平凡でなくて良かったということか? いや、近代の名著「武士道」(作者・・・5,000円札)の精神性を試すとしたらこの機を除いてないでしょう。一発勝負を真に受けた真意はここにあり。トム・クルーズとはちょっと違う。
 結果、受けはとったが見事に落選。実力のなさ、縁のなさ、根回しの下手さを痛感し、4日後くらいにはあっさりと次なる方向を検討。(「今後の俺はどうなってしまうんだ・・・。」と自己の精神宇宙を肥大化させるよりかは、「落語界に自分がいるかいないかなんてどうでもよいこと」と捉える方が賢明と判断。)
 黄金の名古屋黎明期がいよいよ具現化してくることになる。


 「その名前は使っていい、いやだめだ」と、何かと制約多い世界なので、勝手に落語家“初代・柳川どぜう”(読み方→やながわ どじょう)を名乗り自ら進んで下野する。プロかアマか不明瞭にもかかわらず、拾ってくれたこの演芸場に私は足を向けて眠ることができない。
平成15年8月 18日。名古屋在住唯一の落語家・雷門小福門下に正式移籍。師の自宅にて。
現在、大須演芸場を中心に活動を展開しているという。
(完)

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