2014年1月30日 海外で再びしゃがみ、日没の国境に突撃の巻。
 「ダージリン、ダージリン、ダージリン」の大声で目が覚めました。時刻は午前4時30分。インドが動き出したのです。レジャーシートを畳み乗り合いジムニーに乗ります。車はひたすら山道を駆け昇ります。東の空が薄明るくなったその時、道に狭い鉄道軌道が現れました。世界遺産ダージリンヒマラヤ鉄道の軌道です。苦難の2日間を経ての目撃ですから感慨もひとしおです。途中、グルシャン、グームで休憩。途中の山道でまたもや男尊女卑休憩時に料金徴収。3時間のドライブで200INRであります。

↑ダージリン到着。

 朝の肌寒さがこたえます。標高2000メートルですから。昨晩は駅の野宿で正解だったかもしれません。碌な防寒着を持たない私がここに宿泊すればどういうことになったのでしょうか?

 ここは世界的なお茶の産地で。イギリス植民地時代にイギリス人によってお茶の産地と開拓され鉄道はその茶葉の運搬用に作られたのでありました。私は鉄男ではないのですが、さすがにテレビでしかお目にかかれなかったトイトレイン(おもちゃのようなSL)を目の前にすると興奮します。十数人のエンジニアが盛んに調整作業を行っております。

↑ミニSLと記念撮影。

↑なぜか現地人と記念撮影。

↑こちらはディーゼル機関車です。

↑客車です。超狭い線路であります。

↑世界遺産の雄姿であります。

↑ダージリンの働くおじさん。こんにちわ。

 あらゆる角度から撮影していたその時、事件が起こりました。もようしたのです。あれが。下半身が。しかしここはインド。公衆トイレといったこじゃれたのものは存在しません。限界が近づいております。急いで、重い荷物を背負ったまま人目を憚る草むらを探します。急ぎ見つけ出して強行。約1年ぶりの強行です。あれはスリランカのヌワラエリヤというお茶の産地を訪ねたときでした。私はお茶の産地に行くとしゃがみたくなるたちのようです。今後静岡に行くときは気をつけます。

 シーズンオフのダイヤは朝と夕方の2往復だけ。午前10時45分発まで時間がありましたから散策に出かけます。

↑ダージリン駅の時刻表であります。

 やはりここまできて茶葉を買わないわけにはいきません。お土産を買う際の悩みが一つあります。当たり前のことですが荷物が増えるということです。旅はまだ前半です。買ってしまうとずっと持ち運ばねばなりません。ですからお世話になってる方大勢にお土産を・・・というわけにはいきません。750INRで大き目の袋に入った茶葉を買いました。

 駅に戻ります。切符を買おうとしましたが現地人が大勢並んでいます。日本のみどりの窓口のようなもので皆、長距離切符を買おうとしているようです。ここ以外にまもなく出発する列車の切符は売っていないようです。律儀に並んでいては乗り遅れてしまいます。仕方ないので切符を持たずに乗ることにしました。

 汽笛が鳴ると定刻で出発しました。先頭が汽車ではなくディーゼル機関車だったのは残念でした。とはいえ自転車よりも遅いスピードですがかえって車窓が堪能できて興奮のしっぱなしです。右後方に見えたヒマラヤ山脈群が段々と小さくなっていきます。列車はグーム駅との中間にある最大の見所、バタシア・ループに差し掛かりました。ぐるっと一周しながら高度を稼ぐポイントです。観光列車ではありませんから止ってはくれません。出発して約10分。グーム駅に到着しました。

↑グーム駅到着。

 降りると切符を回収する様子がありません。私は一体どうすればいいのでしょうか?仕方ないので駅を出ました。結果、無賃乗車になってしましました。ごめんなさい。払おうと努力はしたのですが。

 ここでシリグリ行きの乗り合いジムニーに乗りました。

↑私が乗ったジムニーです。

↑山岳地帯の茶屋です。

 バングラデシュ国境にはシリグリからが便利なようです。シリグリ到着。頻繁にバスが行きかいます。どれがバングラデシュ国境方面の街・チェンドラパンダ行きのバスなのでしょうか?うろうろしていると「バングラデシュに行くのか?」と声を駆けてきた青年あり。ついていくと、露天の旅行業者に連れて行かれました。バングラデシュ行きのツアーバスがあるそうです。「ダッカに行くのか?」「いや、ラルモニハットに行きたい」「OK。1600INRだ」と。高くないか?まぁ、ダイレクトならいいかと切符を買います。すると先ほどの青年が一緒にバイクに乗れといいます。バイクで500メートルほど移動。大型バスが止まる旅行業者に着きました。時刻はただ今午後1時20分。午後1時30分にこのバスが出るそうです。青年がここにいいた職員と話し込んでます。話がまとまらない様子です。怪しい空気を察した私はバスの車掌らしき人に尋ねました。「ラルモニハットに行くの?」「行かないよ。ボグラなら行くけど」「行かないの?ボグラまでならいくら?」「1200INRね」騙されていること確定です。青年に「店に戻ろう」と私。戻って即換金。あーよかった。

 さっきの大型バスが止まるところに行くとバスはもう出発してました。次のバスは?と尋ねると明日の午後1時30分だそうです。一日1本かよ!!自力での国境越え確定です。うろうろしていると暇をもてあそぶタクシーが声を掛けてきます。「どこへ行く?」「チェンドラパンダ」「乗れよ」「乗らない。バスはないの?」「ないね」の一点張り。そりゃあってもないと言いますわね。相手は商売ですから。仕方がないのでリクシャーに頼んでバス乗り場に連れていってもらうことにしました。無事バスパークに到着。最初からこうすればよかったです。チェンドラパンダ行きのバスを見つけるとすぐに出発しました。途中、パンク修理をはさみバスはちんたらちんたら走り続け、2時間かけて国境近くに着き下ろされました。ここで降りたのは私一人だけです。誰も国境には近づかないようです。さぁ日没が間近です。早く国境を越えなければなりません。リクシャーが乗れ乗れうるさく迫ってきます。100INRだと。そんな高いわけがありません。歩くことにしました。きっとそんなに遠くはないでしょうから。少し歩くとリクシャーが追っかけてきました。50INRでいいから乗れと。それなら乗りました。結果、乗って正解でした。大通りから国境まで遠いこと遠いこと。乗ってなかったら徒歩の最中に日没でしたわ。リクシャーおじさん、本当にありがとう!!!

↑このおじさんです。これに乗らなかったら途中で日没でした。

 インド・バングラデシュの国境はネパールのそれとは違って恐ろしく寂しいところでした。この時間に国境越えを試みる人間は地元民すらなく、ましてや外国人は一人もいませんでした。出国手続きが粛々と進むのはありがたいのですが空が段々と暗くなっていきます。

↑外国人皆無。日没後に歩くのはアウトでしょ。小便何べんちびることになるやら。

↑インドのイミグレ事務所付近です。まじでこれが国境?って感じです。

↑ここから先はインドってやつの看板です。

 5分ほど南に歩いてバングラデシュのイミグレに着いた頃には完全に暗くなってしまいました。そしてイミグレを通過して外に出ました。さてバングラデシュ通貨を手にいれなければなりません。近くの露天商に頼むとほぼ正しいレートでインドの通貨と交換してくれました。しばらく歩くとバスが一台止まっていました。「ラルモニハット行き?」「そうだ」ラッキー!!!するとその男の人が一言。「運がいいな。これ、今日の最終だ」と。さらにラッキー!!!あのリクシャーおじさんが乗せてくれなかったら私は一体・・・。あぁ恐ろしい。

 バスに揺られる・・・ではなく突き上げられること2時間。道が悪いのか数分おきにお尻が浮きます。ラルモニハットのバスパークに着きました。真っ暗な上に右も左も分りません。近くにいた放っかむりしたおじさんに宿を尋ねると「よし、俺と一緒にリクシャーに乗れ」ときました。したがってよいのでしょうか?まぁいいかで乗りました。乗ること約15分。随分離れたところのホテルに連れ込まれました。高目の部屋を紹介されましたが拒否してランクの低い部屋に決めると、つれてきてくれたおっさんが下働きの青年に「50タカ(以降TKと表記)あげてくれないか」というではありませんか。馬鹿げているとは思いましたが鬱陶しいのでその通りにして出て行ってもらいました。水シャワーでしたが72時間ぶりのシャワーに生き返ることができました。収支を計算すると100INRが行方不明でした。どこに消えたのでしょうか?
収支
乗り合いジムニー(ニュージャルパイグリ駅→ダージリン) 200INR、茶葉 750INR、乗り合いジムニー(グーム駅→シリグリ) 130INR、リクシャー 40INR、バス(シリグリ→チェンドラパンダ) 50INR、リクシャー 50INR、両替1000INR→1200TK、バス(チェンドラパンダ→ラルモニハット) 200TK、リクシャー 50TK、ホテル宿泊代 200TK、チップ 50TK、水2L 30TK、行方不明 100INR

所持金残高
30500円、670TK、3175INR、208NR、75米ドル、トラベラーズチェック250米ドル、28.4MYR、6.8シンガポールドル
2014.01.29 2014.01.31
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