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2013年1月20日 狂気の王様の遺産にこちらが狂喜。 
 6時15分起床。6時45分、宿を出ました。シーギリアの入り口まで約20分かけて歩きます。

 同じ世界遺産のアヌラーダプラやポロンナルワよりも5米ドル高い30米ドル(約2700円)を払いました。この3つの世界遺産の入場料の合計は80米ドル(なんと約7200円!!)と破格です。周遊券が廃止となった今となっては黙って払うしかありません。足元を見るにしても度を越しています。「また行きたい国」と思わない理由がここにあります。

 世界遺産・シーシリアロック。緑が覆い茂る平地に突如としてその姿を現した断崖の巨大な岩山の迫力は言葉にできない存在感を示しています。北海道の約7割の面積に数多くの見所があるといえども、ここシーギリアを通り過ぎる観光客はまずいないといっていいでしょう。別格の観光スポットです。

 5世紀後半のたった11年間、この地を統治し岩山の天辺に宮殿を建てたのが狂気の王様・カーシャパです。カーシャパはアヌラーダプラに貯水池を築き統治した父と平民の母との間に長男として生まれました。しかしその後生まれた弟は、王族の血筋を持つ母親から生まれたのでした。跡目争いの不利を悟ってかカーシャパは父を拉致監禁して殺害。弟の報復を恐れた新たな王はここシーギリアに都を移しこの岩山に都を築いたのでした。その11年後、インド亡命から戻ってきた弟に滅ぼされ、都が再びアヌラーダプラに戻されたのでありました。イギリス統治下の1875年、イギリス人によって発見されまで約1400年の眠りについていたということになります。

 よってこの岩山は狂気の産物なのです。規模が半端ではありません。だからこそ人をひきつけるのです。私もその一人です。テレビで知って以来、ここに足を運ぶことが悲願でありました。


↑悲願達成。シーギリアと私。

 地上と頂上の中間あたりに当遺跡のハイライトでもあるシーギリアレディーの壁画、合計18体を直に拝むことができます。


↑断崖にへばりつくように階段が設けられています。これもイギリス人が作ったとか。西欧植民地主義の象徴ですね。




↑1400年の眠りから覚めたシーギリアレディー。この保存状態は驚きです。飛鳥時代の壁画ってボロボロですからね。

 現存するのは18体ですが描かれた当時はもっとたくさんのレディーがいたことでしょう。もしかしたら内緒で大英博物館に運び込まれているかもしれません。彼らならやりかねません。鮮やかな色彩の壁画を目の当たりにして当時の華やかなる王宮での生活を脳内で展開できます。いい経験です。
 この場を離れ次に向かうのはミラーウォールと呼ばれる岩肌の廊下です。当時、ここは磨きに磨きをかけられ鏡のように通る人の姿を映し出していたとか。今は普通の岩の廊下ですが。


↑これがミラーウォールです。ここが鏡のようだったといわれてもなかなか想像しにくいです。

 そこを通り過ぎたどり着いたのが天辺への階段の入り口となるライオンの入り口です。今となっては巨大なライオンの前足首しか原型を留めてはいませんが、当初はライオンの頭部も作られていたらしく、ライオンの口から階段を昇っていくという悪趣味すれすれの建造物だったらしいのです。


↑ここにライオンの頭部もあったとか。アベノミクスも度肝を抜かれる一大公共事業であります。


↑天辺目指して階段を昇ります。高所恐怖症の私にはこれが実にきつかったです。

 岩肌にへばりつくように作られた足元のおぼつかない階段を昇って天辺にたどり着きました。


↑宮殿の基礎だけが残る廃墟でした。松尾芭蕉ならば何と俳句をひねり出すことでしょう?






↑天辺からの眺めです。孤独の王はいつ弟が攻めてこないかと眺めたことでしょう。かえって落ち着かなかったのではしょうか?


↑狂気の宮殿跡で一枚。私は狂人ではありません。名人はもちろん狂人にもなれない中途半端な人間です。

 ここに都を建てて篭城するというのはそれだけ神に近づいたという証なのでしょうが、決して神になれない人間にしてみればかえって孤独が増すのではないのでしょうか? 北朝鮮の将軍様でもここに招待すれば何と言葉を発することでしょうか?

 この壮大なる景色を記憶にとどめ早々に地上へと降り立ちました。博物館に立ち寄ってホテルに戻って遅めの朝食を食べました。日本から持参したカップラーメンです。移動の準備を済ませチェックアウトしてすぐにバスに飛び乗りました。これから向かうのはスリランカ中部の世界遺産の街、聖地キャンディーです。もちろんローカルバスの旅です。約3時間の乗車を経て着きました。時刻は午後2時を過ぎてました。

 移動するたびにしなければならないのが宿探しです。しかも重い荷物を背負いながらのひと仕事です。荷物さえなければなんてことはない仕事ですがそういうわけにはいきません。大勢の人が行きかう市場周辺をウロウロしているとやさぐれたおじさんが「部屋あるよ」と声をかけてきました。私を安心させたいのでしょうか「横浜からの日本人がいるよ」と言ってました。多分うそでしょう。ついて行くことにしました。地歩には安宿情報が極端に少ないのでついていった方が正直、楽なのです。宿は一泊1500LKRだそうです。すると「あなたはついている。今日宿のすぐ近くでキャンディー名物のファイアーダンスが見られる。行こうではないか」と言ってきました。別についてるわけではないでしょう。どの客にも同じせりふを言っていることはあきらかです。それにショーは毎日やってるのですから。宿代とは別で500LKRよこせと迫ってきます。にこやかに「考えます」とお答えをしました。行く気はないですけども。

 10分は歩いたでしょうか。キャンディー湖南の高台に宿がありました。専用のシャワールームがコンクリートむき出しで決して清潔とはいえない宿でしたが、宿探しを振り出しに戻すのも面倒なのでここに決めました。他に泊まっている人の気配もなく帰るそぶりをすれば300LKRは値引きできたかもしれませんが、引き止められないのも困るので言い値でOKしました。おじさんとの別れ際「いくらか頂戴」と催促してきました。少し愛嬌があったので10LKRあげました。おじさん、しっかりしてます。荷物を置いて早々に街に繰り出しました。くまなく歩いたのですがROOMと書かれた看板を見つけることができたのはたったの1軒だけでした。他の貧乏旅行客はどこにいるのでしょうか?

 ここキャンディーは仏歯が納められている仏教の聖地です。毎年8月にペラヘラという世界的に有名なお祭りが開かれます。象の背中に仏歯を納めた箱を載せ街中を行進するのです。周辺の宿はここぞとばかりに値上げを仕掛けてきます。とはいえ一度見てみたい祭りではあります。午後6時30分に仏歯を納めた祭壇の扉が開かれるというのでその時刻に合わせて出かけました。入場料が1000LKRです。本当に入場料って馬鹿になりませんね。とくにここスリランカの場合は。


↑キャンディー名物のキャンディー湖です。




↑キャンディーの市場です。ここで買う果物はスーパーとかで買うよりも高いとか・・・。


↑仏歯寺前にて。


↑仏歯を納めた箱の撮影に成功。

 本堂に入ると2階に通じる階段に行列ができていました。仏歯の納めた箱を目の前で見ようと行列ができていたのです。私も並んで黄金の骨壷ならぬ黄金の歯壷を目の前で拝ませていただきました。信仰に程遠いのでいたく感動したというわけにはいかなかったですが、厳粛な空気に身をさらすというのもたまにはいいものです。

 夕食にと、フィッシュカレーとチャパティーを食べ、別の店のパンを食べました。パンの味がことのほかよかったです。期待以上でした。

 左足のサンダルの留めがちぎれてかばいながら歩くため足の指に豆ができてしまい左足が痛いのです。旅先での足回りはきわめて重要です。出国前に確かめなかった私が悪かったのです。今度からは気をつけたいです。
収支
シーギリア入場料 30米ドル、バス シーギリア→ダンプッラ 34LKR、水1.5L 65LKR、バス ダンプッラ→キャンディー 90LKR、やしの実ジュース 35LKR、ホテル 1500LKR、おじさんにチップ 10LKR、仏歯寺入場料 1000LKR、魚カレー 120LKR、ロティー1枚 20LKR、プレーンパン(2個で1セット) 20LKR

残り 28400円、67米ドル、T/C 300米ドル、1056LKR、18MYR、261000IDR
2013.01.19 2013.01.21
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