2014年2月2日 ダッカ三昧の一日。捨てる紙あり、拾う紙ありの巻。
 午前8時起床。ほぼ不眠。深夜になってもクラクション鳴り放題。いろいろ旅したがこんなのはダッカだけです。昨日もたった半日の散歩でマスクは真っ黒、騒音、渋滞、糞尿、ゴミの山と。ダッカは無間地獄と化していました。おまけにここに来た途端、花粉症の症状が現れました。最悪度が他の比較になりません。社会に不可欠な調和、人間同士に重んじられる節度、それらが積み上げられたという痕跡を探すことが困難極まりない都市。それがダッカの実像のではないでしょうか。

 さて何度世界的な協会への加盟申請をしても拒否されるという悪名高い動物園に行きたかったのですが、日曜休みだそうです。日曜に休む動物園って何?って感じです。ダッカはすべてが規格外なのです。そこで歩いて国立博物館に行くことにしました。開館時間の午前9時30分より早く着き過ぎましたので近所の超高級ホテル、ダッカシェラトンを冷やかしました。ダッカに抱くイメージの真逆の世界がこの一角にだけ成立していました。ダッカのど真ん中で静寂を確保するのはものすごく贅沢なことであることを身につまされました。

↑ダッカでは破格の豪華さであります。

 国立博物館はことのほか広く丁寧に見ようとすれば相当の時間が必要です。足を運ぶ価値はあります。先史から独立戦争史まで。やはり独立史への力の入れようはすさまじいものがあります。ユニークだったのは最上階にある最後の展示フロアです。世界の名画のレプリカが胸像画と共に並びます。モナリザ、ヤンファンエイク、フェルメール、ラファエロ、マネ、モネ、ルノワール、スーラなどなど。海外へなかなか渡れない国民への奉仕ということなのでしょうか?

 お次は超近代建築物の国会議事堂へ行くことにしました。西へ歩く途中、足元の紙くずに目が止まりました。拾うとそれはユニクロのチラシでした。世界のアパレルが進出をためらう中、ユニクロだけはダッカに店を出しております。実はダッカに来たらユニクロに行こうと決めてましたが場所がまったく分りませんでした。加えてスマホも使えなければネットカフェもないし、ユニクロなんて誰も知らないのですから買い物は諦めていたのです。チラシを拾ったときのうれしさときたら。店の地図が書いてありますが現地語のみです。しかたないから交通整理している警官に尋ねました。すると間髪いれず、目の前を通過しようとするバスを止め「あれに乗れ」ときました。乗って車掌さんに地図を見せて行きたい所を伝えました。バスは若者の多い繁華街を走りましたが降ろしてくれる気配がありません。ぐんぐん北上して実に庶民的な場所に踏み込んで行きます。30分以上は乗ったでしょうか、何ともない普通の交差点で降ろされると「あのリクシャーに乗れ」ときました。どうやら車掌さんが私の行きたい所を伝えてくれた模様です。従うと10分後にはユニクロに連れて行ってくれました。こんな奥まった所なら自力で探し当てられるわけがありません。店内には店員2名。客はいませんでした。瞬時に私が日本人とわかったのでしょう、笑顔で迎えてくれました。ダッカでは考えられないような接客振りに徹底教育の跡が伺えます。Tシャツが割り引き価格で250TK!!実に安いです。妻と姫ちゃんへのお土産として緑地のバングラデシュカラーのTシャツを3枚と膝下まで丈のあるクルタというシャツを1枚買いました。チラシをあそこに捨ててくれた人、本当にありがとうございました。

↑ユニクロ・ダッカ店みっけ!!

↑店内です。それほど広くはありません。

↑お店の方と記念撮影です。

 運のいいことにここから国会議事堂は近くでありました。徒歩で到着して、国会議事堂を正面にとらえた後、その直ぐ北にあるジアウッダンという元大統領の廟を見るために三日月形の湖にかかる橋を北に渡り見物しに行きました。政治運動のビラで覆い尽くされた珍しい廟でありました。同じルートで戻ろうとすると橋の袂に立つ制服姿の男が「渡ってはならない」といい東へ行けと言います。私は西へ行きたいというと「橋を渡らず西へ行け」と言います。約500メートル西に行くと同じ制服姿の男が「戻れ」といいます。私は西に行けません。橋に戻って(1キロ無駄に歩いたことになります)「いい加減なことを教えるな」と男と口論になりました。すると周りにいた庶民が群がってきました。事情を説明すると私を落ち着かせ、男と会話。私に「彼のミスだ。許してやってくれ」と言いました。男もそれを認めた様子ですからこれ以上問いただしても仕方がありません。日本人と違ってバングラデシュ人は他人に積極的に関与してくることを知りました。

↑この写真お気に入りです。こうしたナショナリズムを鼓舞するものが街中あふれかえっているんです。

↑これもその一つです。

↑国会議事堂は壮観。

↑政治ビラまみれの廟ってどうよ。

 次に独立の父、ムジブル・ラフマンの元私邸にして暗殺現場のボンゴボンドゥ記念博物館に行きました。ボンゴボンドゥは彼の愛称で競技場にまでその愛称があてがわれており独立の父として広く国民から尊敬を集めています。国内いたるところに彼の肖像画が飾られています。独立=ボンゴボンドゥなのです。1975年8月15日(我々にとっては終戦記念日!)国家運営に不満を持つ軍部によって私邸にて家族と共に暗殺されました。現場となった階段は当時のまま保存されております。この人の伝記本を読みたくなってきました。

↑国父ラフマンの博物館前のモニュメントです。

 ホテルに戻りいよいよ念願のダッカ脱出です。ダッカ脱出。いい響きです。映画アルゴの主人公のような気持ちです。

↑駅に向かう途中、新札を売る出店発見。レートはいくらなのでしょうか?

 ホテルを出て徒歩で中央駅。トイレや洗面所すらどこにもありません。ホームで歯を磨きウェットシートで身体を拭きました。近くの人がじっと見つめます。私が使い終えたシートをポケットに入れると男性が私に「ポケットに入れないで線路に捨てればいいだろ」と言ってきました。これがこの国での普通の感覚なのです。「ゴミ箱がないから捨てられない」と答えました。不思議な顔をされました。

↑ルクラ行き列車の乗車開始です。2等席は戦争状態です。

 ルクラ行きの列車は40分遅れの午後7時40分に出発しました。1等車にあるまじきおんぼろシート、汚れ、暗さであります。通路にまで人が大勢います。等級の低い車両は戦争状態であります。昨晩、この切符が取れたのは幸運だったのかもしれません。

 駅に停車するたび人が客車になだれ込んできます。指定席を持たない者までもが一等車になだれ込んできてはたまりません。車掌が必死に追い返します。私の隣の席の男性も呆れ顔です。その内にその男性と会話が始まりました。会話が進む内に私が「なぜ街にも駅にもゴミ箱がないのですか?」と尋ねました。すると相手の顔が曇りしばし沈黙。「それは難しい問題だ」と。そんなに深刻な問題なのか?私はデリケートな箇所に触れてしまったのでしょうか?明らかに回答に苦慮しているようでした。きっと自国民だからこそ知る無力感がつきまとう問題なのでしょう。入眠剤の力を借りて夢の中です。
収支
お茶 6TK、パン 8TK、博物館入場料 100TK、キャッシング +1000TK、バス(ダッカ中心地→ユニクロ) 10TK、リクシャー 30TK、ユニクロで買い物 1974TK(クレジットカード)、バス(国会議事堂→ボンゴボンドゥ記念博物館) 10TK、オレオ 90TK、ボンゴボンドゥ記念博物館入場料 5TK、バス(ボンゴボンドゥ記念博物館→ニューマーケット) 5TK

所持金残高
30500円、2348TK、3175INR、208NR、75米ドル、トラベラーズチェック250米ドル、28.4MYR、6.8シンガポールドル
2014.02.01 2014.02.03
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