2019年12月9日 この旅最大の難関はパキスタン入国前、突然にやってきたの巻 
バンコク発コルカタ行きの機上で日をまたぎました。

定刻どおり午前1:10にコルカタ空港に着きました。2011年にはじめてこの空港を利用した時は建て替え前のオンボロでしたが、今は近代化されてます。前のオンボロの頃は、預け荷物をピックアップするベルトコンベア機が木造みたいなやつで度肝を抜かれました。いつまでも、残しておいて欲しかったと思うのは部外者の単なるわがままであります。

さて、機内で入国カードを渡され普段どおり気軽に書いてしまったのがいけなかったのです。職業欄をいつも、office workerと記入してまして、今回もそれにしましたが今思えば、そこは気を張ってコメディアンとそておけばと後悔しております。委細、ご説明いたします。

パスポート、ビザ発行済みのプリントアウト用紙、機内でもらった入国カードを入管に提出しました。ここまでは普段の流れ。割とゆるい空気が入管と私の間に流れておりました。その瞬間までは。。。

パスポートをペラペラと入管がめくる内に、あるページで指が止まりゆるい表情が一変しました。それは、私のパキスタンビザを発見した瞬間でした。別段、私は悪さを働いているわけではないのですが、向うから見ればこの時点で要警戒人物となるのです。それほどに険悪な関係の両国なのです。身にしみて伝わりました。

さぁそこからは鬼のような尋問がはじまりました。トホホ・・・。一番しつこく聞かれたのが何しに行くのか?仕事は何だ?です。そう、のん気にoffice workerつまり、会社員なんて書いてしまったので、その通りに取り繕わなければならないはめに陥ってしまったのです。あぁ、コメディアンにしとけばよかった・・・という後悔と、いや、何としてもこの場を乗り切らねばならないという決意との間で、過去にない緊張感が全身を襲ってまいりました。変な汗、焦る表情を出そうものなら「はい、別室へご案内!!」でありますから、いきなり相当なピンチであります。

実家がリサイクル業をやっておりますので、あたかもそこの社員の如くいんちき英語で慎重に説明します。決して怪しい人物ではないのですよと。こんなやりとりが5分以上続いたのですが、係官は席を離れて一人別室に行きました。しばらくするともう一人の係官を連れてきて「この人とあっちに行け」と言われます。「あちゃぁ、別室確定かぁ」と思いましたが、別室前の入り口まで連れて行かれました。ここでまた、何しに行く?職業は何だ?が始まりました。一通り説明した後、その係官はしばし沈黙。そして出されたファイナルアンサーは

「行ってよし!!」

はぁ・・・・・・・、全身脱力。パキスタンの地を踏む前にゲームオーバーでしただなんて、ネタにはなるかもしれないけれど、御免こうむりたいものです。何とか、ピンチを乗り切りました。

旅支度のところで、パキスタンビザ取得の際の事情についてご説明しました。日本人はパキスタンビザを外国では手に入れることができないという、あれです。もし日本人のあなたがインド経由でパキスタンを訪れるとしましょう。もちろんパキスタンビザは日本で取得せねばなりませんからインド入国時、あなたのパスポートには必ずパキスタンビザが貼られることになるのです。つまり、私と同じくインド入管で厳しい尋問を受けなければなりません。

私はなぜ、バンコク(またはクアラルンプール、シンガポール、香港などなど)から直にパキスタン入りするルートを選ばず高リスクなインド経由を選んだのでしょうか? それは直にパキスタン入りする飛行機チケットが高いからです。アジアのハブ空港からパキスタンに行けるLCC航空機が一便もないのです。低コストなパキスタン入りは陸路インド経由の一択です。それを素直に実行したまでのことでして、私と同じルートでパキスタンを旅したい方は、インドの入管はくれぐれも気をつけてください。私からのアドバイスです。

さぁ、コルカタに入りましたよ。インドでも最も前近代的な大都市、コルカタの街中に出たいところですが、ここですぐに乗り換えです。次の便はindigo air 6E5925 4:30 コルカタ発〜アムリトサル 7:10着の国内便です。バンコク発1:10着の便のあとに4:30発の便ですからこれは実に幸運でした。無駄な時間が省けます。値段も手ごろですし。中部国際空港から3便に搭乗してパキスタン国境の街アムリトサルにたどり着くまでの飛行機チケットの総額が21181円!!! これは結構、勉強価格だと思います。

午前7:10、アムリトサル空港到着。ここから西へ30キロくらいのところにパキスタン国境があります。トラブルなければ午後にはパキスタンの地を踏めることでしょう。

では、空港からアムリトサル市街地に移動しましょう。アムリトサルは、シーク教の聖地で金閣寺のようなゴールデン・テンプル(黄金寺院)があります。インド人といえば、タイガー・ジェット・シンの如く、ターバン姿を想像されると思いますが、あれはシーク教徒の証しです。まずは、そこを目指します。

空港を出ると、バスはあまり見かけません。トゥクトゥクでの移動です。現地ドライバーが「黄金寺院まで200INRだ」というので乗りました。着きました。男がここで豹変します(写真001参照)。

後部座席から200INRを手渡すと「NO!! 300だ」と言うではないですか。インド初日。いきなりこれかよ。北インドあるあるです。ここは私が間違ってました。後部座席に座ったままでお金を渡してはいけないのです。目的地に着いたら、荷物を背負って車から降りて、200を渡してさっさとその場を去る。これが正しい。前回の旅からのインターバルが長いとこういう初歩的動作を忘れてしまうのです。正しいトゥクトゥクの乗り方は
@乗る前に値段交渉を済ませる
Aちょうどの金額が財布に入っているかを確かめてから乗る。(お釣りを拒否するやつが時々いるため)
B到着したら荷物を持って車から降りて、丁度の金額を渡してすぐにその場を去る
参考にしてください。

さて話は戻ります。もちろん300は払いません。断じて払いません。押し問答約3分くらい。「インド人よ紳士たれ」と英語で言い放ったら、相手はうつむき「出ていってよし」とあいなりました。たかだか100INRとあきらめてはいけません。

事前に調べたレストラン(写真002参照)で朝食タリー(写真003参照)を食べ、パキスタン国境に向います。なるべく安くいきたいのでローカルバスで行きます。アムリトサルのバスターミナルに行くとバス、見つかりました。(写真005 006参照)はっきり言ってぼろいっす。

バスに揺られること約1時間?国境の街、アタリーに着きました。ココから数キロ西に入管があります。重い荷物で歩くことはできませんからサイクルリクシャー(写真007参照)に乗り換えます。周りは田園風景あるのみ。のどかな時間が流れます。

いよいよ入管の建物に入ります。不仲な国同士の国境ですからどこもかしこもピリピリした感じです。幾度のセキュリティーをくぐり、出国スタンプゲット。国境を渡る現地人数人とともにバスに乗り国境も門へ。さらば、インド。あれほど人であふれる日没セレモニーのスタンドにはもちろん人は誰も座っていません。いるのはライフル抱えた警備兵のみ。ついについに、念願のパキスタン。徒歩で入国!!(写真008〜011参照

いつでも徒歩の国境越えは緊張と興奮につつまれます。やめられません。
さぁ、パキスタン入管。荷物セキュリティーの第一声「酒、持ってないか?」でした。さすがイスラム教の国。そこから攻めてくるんですね。もちろん持ってませんよ。無事入国スタンプゲット!!

さぁ入国早々、第一関門。現地通貨の調達です。銀行も、両替所もない。荷物を運ぶ赤帽らしきおっちゃんが両替するぞと声をかけてきます。このおっちゃんを頼る他なさそうです。ということは向うの言い値だわ。まいったね。300INR(インドルピー)を550PKR(パキスタンルピー)に替えてもらいました。1INR=2PKRなのでまぁまぁのレートですかね。ちなみに1PKR=0.7円ですから、550PKR=385円!!だ。この少額のみでラホール市街地に今晩中に着かねばならないという厳しい制約。みなさんできますか?私はやってみます。とりあえず。

午前中に国境を渡ってしまいました。私は2011年にインド側から見た国境セレモニーをパキスタン側から見たいという希望を持ってココに来ました。本日中に見るならばあと4時間くらいココで時間をつぶさねばなりません。それが嫌なら、一旦ラホールに行き宿を決めてまたここに戻る。あるいは別の日に、となります。後者は時間の無駄なので今日中に見ることにしました。

入管の建物を出ると、遊園地にあるようなミニSLの乗り物が待ち構えていました。これに乗ると、次のセクションにただで運んでくれるようです。たどりつくとそこには数台のタクシーが待ち構えてました。足元を見られる価格設定であろうとまごまごしていると、ミニSLの運転手の若いお兄さんがやって来て耳打ち。「ここで乗ると、高くつくぞ。西に向って歩け。道路に出るからそこから乗れ」と。入国早々、このやさしさって凄い!! パキスタンは貧しいがインド人よりは人がいいとはよく聞く話だが本当なのかもしれないと思いました。OK!と、西へ1キロくらい歩きました。すると、本当に民間の道路に出たではありませんか。ありがとう、若いお兄さん!

国境エリアを出たその目の前にチャイを売る商店がありました。(写真012〜013参照
チャイを一杯頼みました。それにしてもつぶさねばならない時間が長すぎます。アムリトサルで長居をすればよかったです。チャイ屋にいた現地の若者の話をしました。一人の若者が日本人が取得するパキスタンビザの手数料が100円であると知ってました。すると「インドビザはいくらだ?」と聞いてきました。言いたくはなかったのですが正直に伝えました。「25$くらいだ」と。相手の若者は不機嫌になりました。なら、聞かないでよ。であります。近所に郵便局がありましたが、ここでも両替はやっていないとのことです。もちろんATMなんて気の利いたものもありません。約520PKRのの所持金に心細くなってきました。しばらくこの辺りにいると、国境警備兵がチャイ屋へ休憩しにきて、チャイを1杯おごってくれました。とにかく目立ちますから。外国人というだけでね。

人が段々と増えてきました。セレモニーの観客です。その行列についていきます。
いよいよ念願の、パキスタン側からの観覧です。(写真014〜016参照

男女を別々のスタンドに振り分けるというほどの厳格さではなかったのは意外でした。パキスタン国旗をただでいただきました。バックパックにしまいました。これをお土産に帰国することができるのか?これを持ってインドに入国できるのか?今から気になってしかたがなくなりました。

2011年以来の夢が果たされ、国境沿いから去りました。もう数十分で日没です。所持金は520PKRです。本当に私は生きてラホールに宿を見つけることができるのでしょうか?(写真008〜017参照

さきほどのチャイ屋の前に行くと、トゥクトゥクのような乗り物が待ってました。チンチーといいます。どうやら乗合いらしく、「どうせそこらの連中もラホールに行くのだろう」と積極的に私がそこらの若者に声を掛け乗合い人数を確保しました。ラホール駅まで200PKRでOKとのことでした。「やったー!!これでラホール駅までは確定だ」と。
あっという間にあたりは真っ暗になりました。大丈夫でしょうか?乗って30分くらいでチンチーが止まりドライバーが「お前はあのチンチーに乗り換えろ。で、あのドライバーに200を払え」というではありませんか。早い話、売られてしまいました。こんなローカルルールもあるのかと勉強になりました。さて、本当に200でラホール駅に着くことができました。さぁ、今から宿探しです。ある程度、出国前に調べておきました。駅から南西数キロのところに貧乏旅行客の定番という宿があるという。さぁそこまでどうやって行くか。

何でも、駅前の105番乗合いミニバンに乗ると割りと近くに行けるのだという。で、勇気を振り絞って乗りました。そのエリアの名前である「リーガル」をひたすら連呼したら二つ目のバス停で降ろしてくれました。あとは、地球の歩き方にある地図と現地人のアドバイスだけが頼りです。まず、ここが地図上のどこにあたり、目指す方向はどっちなのか?リーガルにあるKFC(ケンタッキーフライドチキン)そばのリーガル・インタネット・イン。情報はそれだけ。とにかく聞きまくりましたよ。いい加減なことを言う人がいるのは旅行あるあるでは定番です。夜、過労、重い荷物と三重苦ではありますが冷静さを失わず、勘を働かせると遂に、KFCを見つけることができました。その近所にありました!リーガル・インタネット・インが。

この周辺は夜も明るくATMもあります。パキスタンにしては割と治安はよさそうですね。待望のATMから5000PKRをキャッシングし、宿に突入。幸い、ドミトリにー空きがありましたよ。4つのベッドと個室が一部屋。だから5人で満室。シャワーを浴びて日本から持ち込みの食材を食べて就寝。

パキスタン初日は上出来の一日といっていいでしょう。とにかく安堵するばかり。
今日の収支
※1INR(インドルピー)=1.53円 1PKR(パキスタンルピー)=0.7022円

トゥクトゥク(空港→黄金寺院) 200INR
朝食ターリー+チャイ+TAX 131INR
バス(アムリトサル→アターリー) 35INR
サイクルリキシャー 50INR
両替 300INR→550PKR
チャイ 30
チンチー(ワーガー→ラホール駅) 200PKR
105番ワゴンバス(ラホール駅→リーガルチョーク) 20PKR
キャッシング +5000PKR
ホテル(ドミトリー) 500PKR
水1.5L 50PKR

残金 647INR、4750PKR
2019.12.08 2019.12.10
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