2019年12月14日 コスト割高だが安全策でモヘンジョ・ダロ無事往復の巻
日没間際にホテルを出る支度を整えました。明るい時間帯の時間は無駄には出来ませんので。実は昨晩、ホテルのwifiでモヘンジョ・ダロ観光にかんするネット情報を探し回りましたが、直近のそれはなかなかみつかりませんし、現地公共交通手段で往復したといった記載はどこにもみあたりませんでした。とても心配になってきました。昨日の昼に下見した方法でありますところの、ジェネラル・バススタンドからラールカーナ行きのバスに乗って・・・という手段は放棄することにしました。度胸なくてごめんなさいね。

そこで、車をチャーターすることにしました。しかしホテルの前を、流しのタクシーがバンバン走るような街ではありません。ホテルの前に、チャイの屋台があり人だかりができてましたから”POLICE”と書いた服を着たおじさんに尋ねてみました。「モヘンジョ・ダロ行きたいのだけどタクシーいない?」と。するとおじさん、携帯電話で誰かと喋り。「しばらくすると車が来るぞ。その間、チャイでも飲め」とチャイをおごってくれました。北インドと違ってここまで親切にしてくれる人と出会う確立はパキスタンのほうが高いというのは紛れもない事実です。

しばらくすると本当に車が来ました。「この車で連れてってもらえ」となりました。信用してよいものか半信半疑ではありますが、誰かに連れて行ってもらわないとモヘンジョ・ダロには永遠にいけないわけですから、頼むことにしました。

ホテルの部屋に戻り荷物を持ってフロントに下りると、ドライバーがフロントで待ってました。チェックアウトを済ませ、すぐに車に乗るようなことはしません。慎重に事を運びました。まず、私のスマホには地元のSIMカードは入ってませんからwifiのつながるホテルを出たら私のスマホは無意味になります。そこで、wifiが使えるうちにということで、この運転手に「セルフィー(ツーショットで写真とろうよ!って意味)」と声を掛けツーショットで写真を撮りました(写真001参照)。で、この写真をすぐにライン(パキスタンはラインも、ツイッターも使えます)にメッセージを添えて妻に送りました。

「今から、このおじさんの車でサッカルのフォーラムインホテルを出て、モヘンジョ・ダロに向う。もしも、俺が消息不明になったらこの男をサッカルで探してくれ。頼むぞ」

と。すぐさま妻から「OK」と明るく返事がきました。次に値段交渉です。ここからモヘンジョ・ダロへ。最後はサッカルのダーウー・バスターミナルで降ろしてもらう。この往復でトータル6000PKR(約4200円)ということになりました。おそらくこの男は大儲けなのでしょう。

車に乗るとホテルの隣のガソリンスタンドに入って給油を始めました。支払いの段、運転手が「2000PKRだって。払って」ときました。おいおい!!俺が出すのかよ。さっきの6000PKRにこの2000PKRは含まれるのかそうでないのか、いちいち確認しなければならなくなりました。どうやら、ガソリン代込みで6000PKRとのことです。早く言えよ。

出鼻をくじかれた感はありますが車は一路、モヘンジョ・ダロをめざします。実は出発前、チャイ屋でタクシーを捜す会話をしている最中にホテルのオーナーらしき男が私を追いかけてきて「(外国人が)モヘンジョ・ダロに行くには通行許可書(パーミットって言ってた)がいるぞ。お前、警察でもらったのか?」ってなことを聞いてきました。そんなの持っているわけがありません。今から、警察に行ってそんなの頼んだら何時間かかるんだ?って話しですから、聞かなかったことにしました。

車の中でこのことをドライバーに聞くと「そんなのいらんよ」というのです。わけがわかりません。心配そうな私に気持ちを察してか警官が立つ交差点でドライバーが車を止めて「心配ならあの警官に尋ねてごらん」と言うのです。それはグッドアイデアとばかりに車を降りて警官に「モヘンジョ・ダロに行くけど安全ですか?」と聞いてみました。「大丈夫だ。何かあったら電話番号1××(150だったかな?)へかけろ。警察につながるから」と教えてくれました。心強いアドバイス!!けど、スマホにはSIMカード入ってないけど・・・。この警官、「IDを見せろ」とドライバーのIDカードを確かめていました。うん、これならまぁ大丈夫かな・・・と思いました。

車は幹線道路から田舎道へ。風景が日本とは別世界すぎて車窓に釘付けでした(写真002〜004参照)。特に家畜の移動の群れにはときめいてしまいました。ここは筋金入りの田舎です。
サッカルを出て約2時間。モヘンジョ・ダロに本当に着きました(写真005〜012参照)。怖い思いはまったくしませんでした。

わが国では教科書による刷り込み効果のせいか、世界四代文明の一つとして知名度が高い世界遺産ですね。モヘンジョは死者を、ダロは丘を意味し、モヘンジョ・ダロとは”死者の丘”となります。1921年にインド人の考古学者によって発見され、仏教時代のストゥーパがあることから長い間、仏教遺跡と信じられていたそうで、調べるうちに下から動物の文字が刻まれた四角い印章が発見され、紀元前・インダス文明の遺跡ではないか!ってなことになったそうです。浪漫が詰まっております。そんなパキスタンが誇る遺産も、地下水に含まれる塩害により劣化が起こっています。実際、レンガ表面に石灰のよう白い粉が付着してましたが、それ塩なんですね。もちろん、大々的に修復するお金もないのでしょう。永遠に今の姿が保たれるのかどうか・・・といったところです。

私は、パキスタンの冬の季節に訪れたからいいのですが、遺跡内の日陰はいっさいありませんから5月前後の真夏に行ったら間違いなく灼熱地獄ですね。ここは。治安もさることながら出向く季節にもお気をつけ願います。

統一規格のレンガを大量投入することにより完成した城塞、並びに市街地。人類ははるか昔に高度な文明を手にしていたことがよく分かります。逆に紀元前2000年代の日本はそのころどんな暮らし方をしていたのでしょうか?

気候もよく約2時間、広大な敷地内を練り歩き帰路につきます。モヘンジョ・ダロ空港が遺跡に隣接しているというので連れて行ってもらいました(写真013参照)。もちろん入場不可でした。どう考えても毎日運行しているようにみえませんでした。カラチからダイレクトにここへ飛んで遺跡を見に行くルートが一番安全であるとガイド本には書いてありますが、実行したらいくら取られるというのでしょうか?

帰路も危険な目にあうことなく、サッカルのダーウー・エクスプレスに戻ることが出来ました。「もっとよこせ」と言われないよう、お釣りのいらない4000PKRを車から降りてから渡しささっと車から去りました。私の背中越しに何も言ってこなかったです。わりと良い運転手さんだったようです。名刺をUPしときます(写真014参照)。

午後2時ごろにバスターミナルに着きました。パキスタンのホテル事情が悪くなければ私はすぐにカラチに向ったと思います。たぶんそれほど見どころがないであろうカラチを見るために一泊5000PKRを払う度量は私にはありません。よって、逆方向のムルタンに向います。ムルタンとラホールの中間にインダス文明のハラッパーという遺跡があるのでそこに行くことにします。サッカルからムルタンはわりと近くにあり、今すぐバスに乗ると日没ごろに着いてしまいます。するとムルタンでまた高額な宿代を払う羽目になると思うので、ここサッカルのバスターミナルでたっぷり時間を費やして、日没になってから乗車し、ムルタンのバスターミナルで夜を明かすという計画にしようと思います。

そうなると問題は風呂、シャワーですが、どう解決したかと言いますと、ここサッカルのダーウー・エクスプレスのバスターミナルのトイレの個室には恐らくお尻洗い用でしょう、シャワーがついており何と、ぬるまゆが出たのです。その個室でお尻だけでなく全身をごしごし洗ってしまったのでした。旅先では常にタブー無しの私です。

午後8時発のバスに乗ってムルタンに向います。すると午前0時ごろには着いてしまいました。はやぁ!!午前5時半ごろから空は明るくなりはじめますから、24時間営業のダーウー・エクスプレスのバスターミナルで時間を費やします。

アジアのバスターミナルや駅は本当にいいですね。電気使い放題ですから。そうすると自前の湯沸かし器でお湯が調達できるのです。おかがで自前の食材で腹ごしらえもできました(写真016〜017参照)。やはりダーウーのバスターミナルは24時間安全で使い勝手抜群です!!
今日の収支
※1PKR(パキスタンルピー)=0.7022円

貸し切りタクシーのガソリン 2000
通行料 30
モヘンジョダロ入場券 630
貸し切りタクシー(サッカル→モヘンジョダロ→サッカル) 4000
バス(サッカル→ムルタン) 1610
水1.5L 70

残金 6870PKR
2019.12.13 2019.12.15
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