4月7日 何も知らない私はアウランガバードへ。そこで待っていたのは。ついに運命の日。
 夜行列車は1時間遅れでアウランガバードにすべりこんだ。日の出間際の到着だ。お陰で駅で暇をもてあます必要がなくなった。こういう歓迎すべき遅れがあるのもインド旅行の一面だ。ここでもリクシャーのセールスはすさまじい。ガイド本によると駅の左にバス停があるという。バスが一台止まっていた。シティーバススタンド行きだという。乗った!! バスを乗り換え世界遺産・エローラに向かう。エローラ訪問は本旅行のハイライトの1つといっていい。個人的にはタジマハールに次ぐ見る価値のある場所だと考えている。

 ごつごつした岩肌が形成する山々を縫うようにバスはエローラを目指す。エローラ到着。入り口の向かおうとしたその時だ。現地時間7日午前7時。運命のショートメールを受け取った。

師匠・雷門小福逝去。ご長女からの一報だ。

 んーーーついに来たかと思った。よりによって旅のハイライトで・・・と思わなかったといえばうそになる。聖人君子ではないのだ。困った。どうするか? とりあえず、妻と実家に電話した。獅篭兄と連携してことにあたっていただきたいと。

 生前師匠は私が昨年、単身インドを旅したことについて「凄いな。お前は」とほめてくれた。そんな師匠に最後にお会いしたのは旅の前日3月25日の夕方、三の丸病院の病室だ。「またインドに行ってきます」とは言えなかった。「背中をさすってくれ」と告げられるとそのまま眠りについてしまわれた。黙って部屋を後にしたのが最後である。

 さて、そんな師匠との究極の別れのこの時。インドの山奥にいるというのも実に間の悪い話である。私らしい。人生こんなことばかりだ。すぐに戻るか? いや待て。ここは世界遺産だ。タジマハールの次にすごい場所だ。決めた。

師匠ごめんなさい。私、ここ見てから戻ります。

 世界遺産価格250Rを支払い中に入る。大小30近くの石窟があるこの場所は、本来一日かけてじっくり見るべき遺跡なのである。すべてがすべて見るべきものとというわけではない。絶対に見るべき場所が一箇所ある。カイラーサナータ寺院がそれである。存在それ自体が奇跡といっていい寺院である。756年に着手し完成までに1世紀以上を要したという。当時のインド人の平均寿命が.30歳前後というのだから数世代にまたぐ大工事であったことは想像に難くない。すべてのハイテクを駆使して現代人が何を建てようと、偉大さの点で越えることのできない建造物。それがカイラーサナータ寺院である。それは、岩山を奥行き81メートル、幅47メートル、高さ33メートルにわたって切り開いて作られた石彫り寺院である。

 インド旅もここで打ち止めだ。私は今生の別れを惜しむかの如く、短時間ではあるが集中して見て回った。時間にして30分弱。急ぎ出口に向かった。観光チャーター用のリクシャー運転手が大きな声で「もう帰るのか?」と言っていた。そりゃそうだ。7時に入り7時半に出て行く観光客などいるわけがない。私も残念でならんのだ。こと、貧乏な私がここで旅を断念せねばならない悲しみは、誰も分かりはしないだろう。バスに飛び乗りアウランガバードに戻った。


↑これがエローラのカイナーサナータ寺院だ。石を積み上げて作ったのではない。岩山を削って作ったのだ。その大きさを立っている人と比較していただきたい。

↑精緻な彫刻に舌を巻く。

↑上から撮影。これ見ずにあなたは日本に帰られるか? 私が見たくなる気持ちも分かるでしょ?

 一門でこの一大事を知った順番は福三、私、獅篭であった。獅篭兄の知り方がおかしい。私から連絡を受けた妻は獅篭兄の携帯に電話をしたがつながらない。昨晩、兄弟子は携帯電話を落としたらしい。妻は、兄弟子の元妻に電話した。兄弟子は元妻からの連絡で訃報を知ったという。兄弟子は師匠宅から徒歩15分というところに住んでいる。一番近くにいる人がこんな重要な連絡をインド経由で知るというのもバカバカしいし、あの人らしい。とはいえ、すべての対応は日本にいる一門二人がしっかりとやってくれることだろう。問題は私だ。

 とりあえず、8日通夜、9日12時出棺と仮説を立てた。帰国のリミットは9日の12時だ。ここアウランガバードは山ん中だ。都会のムンバイには列車で9時間、デリーには列車で18時間かかる。飛行機しかない。幸い、街の南東に飛行場があるようだ。シティーバススタンドからシルクルバススタンドへ移動。ここから先はバスがないということでリクシャーに乗った。70R。私にしては払ったほうだ。

 飛行場にひと気はなかった。玄関を見張る制服姿の男が二人だけである。なるほど、次のフライトまで閉鎖ということか。「身内が亡くなった。すぐにデリーに行きたい」と私。「デリー便は15時と16時の計2便だ」という。「わかった」と私。「お前、切符はあるのか?」と訊いてきた。「ない。ここで買う」と言うと、頓珍漢なことを言い始めた。「ここでは買えない。街にある航空会社で買ってこい」というではないか。切符の買えない空港なんてこの世にあるか? わけがわからん。「本当にここでは買えないのか?」「そうだ。買えない」と譲らない。まだ12時だ。仕方が無いから街に戻ろう。返したはずのリクシャーが私の出番とばかりに笑顔で近づいてきた。街まで乗せられてはいくらボラれるかわかりゃしない。「乗らないよ」と無視して幹線に出る。怒ってたなぁリクシャーは。門番とかに当たり散らしていた。

 空港前の幹線にはバスがバンバン走っていた。しかしバス停が見当たらない。子供たちが珍しがって近づいてきた。「ねぇ、おじさんはね。シルクルバススタンドに行きたいんだ。バス停はどこ?」と訊くと子供たち。「バスなんてないよ」と言う。「いや、バスが走ってるじゃないか。バス停はどこ?」「あれだよ」と指差す先にバス停はあった。しかしそれはシルクルとは逆方向だ。「いや、シルクルに行くバス停だ」「バスはないよ。リクシャーに乗るといい」というではないか。そんなバカなはなしがあるものか。気がつくと子供が20人近くに膨れ上がった。「このリクシャーに乗るといい」と円陣が真ん中で2つに割れた。割れた先にリクシャーが止まっていた。大勢が乗っていた。「あっ!! 乗り合いリクシャーか!!」ようやく事態が飲み込めた。バスより乗り合いリクシャーのほうが便利だと言っているのだ。これならバスとほぼ同額だ。田舎の子供たちはウソは言わない。「ありがとう」とリクシャーに乗り込んだ。行きに70Rだった道のりが帰りは20Rだった。

 急ぎシティーバススタンド行きのバスに乗る。あまりの酷暑に後部座席の男性が「お暑ぅございます」と声を掛けてきた。「本当ですね」と返した。私は少し饒舌になった。「これから街に戻って飛行機の切符を買わなければならない。高等裁判所近くにエアインディアのオフィスがあるようだけど知ってます?」と尋ねた。すると男性は「もうないんじゃないか? そこには。それより切符なら空港で買いなよ」ときた。「いや、今空港に行ったらここでは買えないって言われたんだ」「それはおかしい。俺、10日前に空港で切符買ったよ」「なぬぅ??? それ本当?」「本当だ。10日前に空港で、アウランガバードからハイダラバードに行く切符を買った」「本当?」「本当だ」「じゃぁ空港の人間はうそつきか?」「それは分からない」「そうですか。ありがとう。空港に戻ります」とバスを降りた。インドではこういうわけの分からんことは始終だ。いちいち怒っていたら身が持たない。

 妻から、8日通夜、9日午前9時から告別式と知らされる。出棺は9日午前10時だ。予測より2時間繰り上がった。間に合うか? 妻にはインドからの直行便とエアアジアのフライトスケジュールを調べてもらった。デリーから今晩21時10分に成田行き、23時15分に関空行きがあるという。どちらかに乗れば通夜にも間に合う。

 1時半まで時間がある。シルクルバススタンドで食事を摂った。出された食事の写真を撮る私に、店の青年達が「俺達も撮って」という。ほほえましいひと時だ。空港に戻る。ここで切符は買えないと言い切った男とその上司らしき男がいた。「当日券を買いに来た」と告げると上司が一言。「あそこにチケットカウンターがある。そこに行け」と言った。指差された方向を見ると10メートル先にチケットカウンターがあった。私は、うそつき男を睨みつけてやった。多分こちらの気持ちは伝わっていないだろう。


↑バススタンド食堂のマサラライス。

↑この青年達が作っています。

 15時発ジェットエアーのデリー行きは満席だった。そして16時発エアインディアのデリー行きも満席だった。エアインディアはキャンセル待ちの1位に私を登録してくれた。切符は6000数百Rだと言っていた。10000円前後だ。それなら心配は要らない。搭乗手続き終了時間が迫る。こりゃダメだな、諦めかけたその時、「日本人。席が空いたぞ。あっちで決済だ」とチケットカウンターに移動した。カード決済をした。レシートが出てきた。うす目で値段を覗き込んだ。

20203R!!(34345円!!) 気を失いかけた。


↑これが驚愕金額発覚の決定的瞬間だ!!

 今更やめますとは言えない。言いたかったけど・・・。28列目の切符を受け取り搭乗口へ。すると呼び戻された。「席が変わった。切符を作り直す」と。そんなことってあるの? しばらく待った。切符は3列目に変わっていた。これってまさか・・・。搭乗して判明した。

そこは、ビジネスクラスだった!!

 人生最初のビジネスクラスの贅沢をまさかインドで経験することになろうとは。悲しい。悲しすぎる。たった2時間のフライトのためにこの値段。どうせ、高い席を押し付けたんだろうと、エコノミー席を冷やかしに行くと、そこはインド人すし詰めだった。すし詰めでも機内食のカレーを食べていたが。嵌められたわけではなさそうだ。もう知らない。16時20分にアウランガバード空港を離陸。2時間後の18時20分にデリー空港に着陸した。

 さて、ここはインドだ。インドの空港はどこでも、切符を持たない人間を門前払いにする。敷地の外で切符を調達しなければならない。急ぎ、デリー中心部に入った。最近、空港と中心地が20分の鉄道で結ばれた。便利になった。その分、入国したての観光客を手玉に取る詐欺師には壊滅的打撃となった。ニューデリー駅に到着。急ぎニューデリー駅の外国人専門窓口に閉店5分前に飛び込み、ムンバイで取った鉄道切符をキャンセルした。その足で、昨年利用したヴィシャルホテルのインターネットカフェに飛び込んだ。これ以後についてはブログに詳しく書いたのでぜひともそちらをご覧いただきたい。

追記
 バンコクで夕食を摂るべく屋台でラーメンを食べた。うまいんだなこれが。しかし、出てきた時には驚いた。割り箸が既に割れていた。四角い箸の角ばったところがそれぞれ黒く汚れていた。「お前さんところの箸は・・・、割れてんだ」という、古典落語の時そばを本当に体験した。生まれて初めてのことだ。今の日本じゃこういう落語に通じる生の体験ができないんだよなぁ。


↑箸が割れてて真っ黒!! リアル時そば。

↑このお店です。味はいいよ。

 今回の旅行の主旨を貫徹すべく、大帰国計画までの出費の全てをここに明かします。

4/7 支払金額(1R=1.65円、1THB=2.68円)
アウランガバード駅→シティバススタンド(バス) 8R、シティバススタンド→エローラ(バス) 24R、世界遺産入場料 250R、エローラ→シティバススタンド(バス) 24R、シティバススタンド→シルクルバススタンド(バス) 12R、シルクルバススタンド→空港(オートリクシャー) 70R、空港→シルクルバススタンド(乗り合いオートリクシャー) 20R、マサラライス 20R、シルクルバススタンド→空港(乗り合いオートリクシャー) 30R、水(1L) 30R、デリー空港→ニューデリー駅(鉄道) 80R、鉄道切符キャンセル -405R、お土産用紅茶 160R、インターネット 160R、屋台のオムレツ 10R、水(1L)2本 20R、ニューデリー駅→デリー空港(鉄道) 80R、
合計 593R

残高
34825円、2.3MYR、3151R、120ドル、T/C450ドル

4/8 支払金額(1R=1.65円、1THB=2.68円)
空港→市内(鉄道) 35THB、地下鉄 15THB、肉まん 12THB、インターネット 55THB、MRT(鉄道) 15THB、地下鉄 22THB、地下鉄 24THB、屋台ラーメン 40THB、MRT(鉄道) 20THB、水(2L) 13THB、オレオ 28THB、MRT(鉄道) 25THB、ゴーゴーズバーでビール 100THB、地下鉄 15THB、市内→空港(鉄道) 35THB、クローク 100THB、免税店 20THB
合計 574THB
1000R→385THBに両替、5ドル→151THBに両替、100R→38THBに両替

残高
34825円、2.3MYR、2051R、115ドル、T/C450ドル

4/9 支払金額
セントレア駅→金山駅(鉄道) 1140円、金山駅→大曽根駅(地下鉄) 190円、タクシー 820円、志賀本通駅→野並駅(鉄道) 320円 4/18横浜→名古屋バスキャンセル料 700円
合計 3170円

自宅到着!!

最終残高
31655円、2.3MYR、2051R、115ドル、T/C450ドル



帰国後の出費
携帯電話通信費 2598円、アウランガバード空港→デリー空港(エアインディア航空券) 20203R(33191円 カード決済)、デリー空港→バンコク空港(エアインディゴ航空券) 12567R(20646円 カード決済)、バンコク空港→セントレア空港(タイ国際航空 航空券) 22115THB(タイバーツ)(59018円 カード決済)
2012.04.06
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