2019年12月17日 信者をダラムサラに追いやったのは誰だ?の巻
今日一日たっぷりダラムサラを観光します。一日使うとはいえ、さほど広い場所ではなく時間を弄ぶことになりそうですが仕方がないでしょう

ホテル(写真001〜002参照)のチェックアウト時間ギリギリまで wi-fi で色々と明日以降の情報を集めます。ゆっくりとチェックアウトを済ませ街へと足を運びました。

ここダラムサラは標高1700メートルの山地にあります。1950年頃から始まった中国による露骨な圧力を受けたチベットは抵抗むなしく、1959年チベット民衆の反乱とそれに対する中国の武力弾圧の結果、最終的に中国に飲み込まれてしまいました。

チベット仏教の法主として崇められ政治的な指導者でもあったダライラマ14世は首都・ラーサを脱出してインドに亡命し、ダラムサラに亡命政府を樹立いたしました。

もちろん私は、チベットにも行きたいとは思っているのですが中国共産党発行の許可証を得ないと外国人は足を運ぶことができません。それを受け取るということはチベットを中国領と認めるということになるので、私は多分死ぬまでチベットのポタラ宮を見ることも訪れることもないでしょう。

ダラムサラの中心地マクロードガンジーのメインロードを東に下って行くと、突き当たりにダライ・ラマ法主の公邸があるチベット寺院(写真003〜005参照)がありました。閑散期とあって、寺院内はいたって静か。もっと広い寺院だと思ってましたが、こじんまりとしており寺院の一番奥まったところにダライ・ラマが滞在する公邸がありました。セキュリティ万全でもちろん私のような旅行客が入ることはできません。寺院のカラフルな仏像に手を合わせ、壁に沿って並ぶマニ車を一つ一つ回すだけという、薄っぺらい動きを知る以外に何もなし。チベット仏教信者が味わった苦しみは筆舌に尽くしがたいものであるとは想像できるのですが、そんな自分が彼らのために何をしてやれるのかと考えると沈黙するほかありません。ただただ、ここに足を運び雰囲気を感じ取る。それだけです。

寺院のそばにチベット博物館(写真006〜011参照)がありました。大変こじんまりとした施設なのでありますが、そこに張り巡らされた写真を見るにつけ、いかなる野蛮行為がチベットで繰り広げられているのか、それらの一部を知ることができます。

私は普段、中国という言葉を使う際にはチベット並びにウイグルを省いた中国というものを意識して言葉を発しております。ささやかな抵抗でありますが、受け取る側にそれが的確に伝わるとは思っておりません。が、そんな思いを持ち続けようと尚一層強くさせてくれるそんな場所でありました。

マクロードガンジのメインロードには、旅行客向けの店(写真015〜016参照)が立ち並び、買い物好きにとっては楽しくて仕方がないエリアではないでしょうか。私は買い物好きではありませんのでただただ見るだけです。相当時間が余ってしまいました。つなぎでチャイ屋に入ってチャイを飲む。また歩いてはチャイを飲む。また歩いてはチャイを飲む。そんな繰り返しであります。

マクロードガンジから30分以上歩いたところに、自然豊かな場所(写真012〜014参照)があるというので行ってみることにしました。勾配のきついトレッキングコースをゆっくり歩くのですが、一旦後ろに振り返ってみると、なるほどここが標高の高い山地エリアであることがよくわかる山地ならではの大パノラマ広がってました。たどり着いた先にあったのが、落差20 メートルほどの滝がありました。もちろん雪解け水なのでしょう。インドには珍しい透明感あふれる水に触れることができました。

ゆっくりと街中に戻りましたがまだまだ時間が残っています。ホテルはもうチェックアウトしたので中に入ることはできませんが wi-fi が漏れていたので拝借して時間をつなぎます。

いよいよ日没が近づいてまいりました。ホテルに預けた荷物を受け取り、マクロードガンジのバスターミナルに行きました。次は世界遺産カルカ・シムラ鉄道をに乗るためにシムラーを目指します。マクロードガンジから500メートル下にあるダラムサラ・バスターミナルでシムラー行きのバスに乗ります。マクロードガンジのバスターミナルから乗り合いジープが出ておりましたから、それに乗りました。

ダラムサラのバスターミナルには何台かバスが止まっており、とあるバスの車掌が「シムラー、シムラー、シムラー!!」と叫んでいました。「これシムラーに行くの?」と聞くと「行くぞ」と言うので、そのバスに乗りました。悲しいことに、昨日のバス以上にオンボロでした。

ここダラムサラからシムラーまでは約10時間ほどかかりますから今晩は、このオンボロバスの車内で一夜を過ごすことになります。バスは夜中の山地をノロノロ走ることになりますから、とてもとても寒いのです。またエンジンオイルも豆に変えているとは思えないバスなので、エンジン音がけたたましく、加えてサスペンションもめちゃめちゃなため、陥没した場所を通るたびにバスは爆発音みたいな音を立てながら、激しく上下に揺れます。最後部座席に寝そべる私は3回くらい座席シートとともに身体が宙を浮き、床にたたきつけられました。そばにあるる乗降口がぴたりと閉まってくれないため、冷たい風がそこから入り込み、足先が冷えて冷えて仕方がありませんでした。日本から持ち込んだブランケットを身体に巻き付けたのですが、気休めにもならず、今度インドに来る時にはモンベルとかで売っている保温性豊かなブランケットを持ち込むことにするぞ!と固く心に誓ったのは本当のことです。

早く早く、とにかく早くシムラーに到着することを祈らずにはいられない、そんなタイトなバス移動でありました。今振り返ると体力消耗のピークはこのバス移動にあったのではないかと思っています。まったくおすすめしない移動手段であります。睡眠導入剤を飲みましたが残念ながら一睡もできませんでした。千代の富士ではありませんが、「体力の限界!!」ってやつです。
今日の収支
※1INR(インドルピー)=1.53円

チャイ 10
チャイ 10
チャイ 10
寄付 10
キャッシング +2900
乗合ジープ(マクロード・ガンジ→ダラムサラ・バス・ターミナル) 20
バス(ダラムサラ→シムラー) 470

残金 4827INR
2019.12.16 2019.12.18
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