4月5日 ムンバイ。物価だけは東京並み。
 目が覚めると夜行はインド最大都市ムンバイの手前であった。20分遅れで終点に到着した。ここはチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(以降CSTと表記)。世界遺産だ。現役の駅が世界遺産なのである。現役駅舎が世界遺産って他にあったかな? 要はイギリス植民地時代の産物で英国の威厳を示すために建てられたものというわけね。かつては女王の名をとって、ヴィクトリア・ターミナスと名づけられていた。独立したんだからそれはよしましょうと今のCSTにおちついた。今でもヴィクトリア・ターミナスで通じるけどね。


↑これが世界遺産CSTだ。フレームに収まらぬでかさ。

 ちなみにムンバイのそこら中に出てくるこのシヴァジーとは、「戦うヒンドゥー教徒」の意味で17世紀の英雄チャトラパティー・シヴァジーは祖国防衛の英雄であるという。また、ムンバイという都市名も以前はボンベイだった。これも植民地時代の名残というわけで改められた。寛容の精神を育んだボンベイのままでいいじゃないかという意見もあるらしい。

 さぁホテルを決めねば。どこまでが南インドでどこからが北インドかは不明。しかしムンバイまで来ると24時間チェックアウトのシステムは消えている。安いホテルを探しにインド門を目指す。午前5時半。都市が動き始めた。インド門方面のバスを探し乗り込む。ご当地で知らない者はいない超豪華ホテルの真裏でまったく日が射さないカールトンホテルに決めた。路地を挟んで向こうはマハラジャ、こっちは最下層というすさまじい現実だ。シングル一部屋驚愕の850R!! 850R!! 狭い部屋だよ。これまでの日記で一部屋の相場はご理解いただけたと思う。その流れを受けて850Rがいかに高いかがお分かりだと思う。とにかく何でも高いのだ。この強気の価格設定でも買い手がつくんだからしかたがない。事情は東京とまったく同じだ。


↑ムンバイ名物、タジマハールホテル&タワー。カールトンホテルはこの真裏。

↑植民地支配の象徴インド門をチャトラパティ・シヴァジー像が睨みつける。

↑これが植民地時代の象徴。インド門だ。

 荷物を置き、シャワーをあびて船に乗った。ムンバイの東、1時間の船に揺られてたどり着いたのが世界遺産・エレファンタ島だ。6〜8世紀につくられた大小7つの石窟があるヒンドゥー寺院だ。ポルトガル人によって徹底的に破壊され第一石窟だけが奇跡的に原形をとどめている。入り口右手にその石窟があり、内部の三面上半身像がこの地のハイライトである。もっと見所があってしかるべきだと思うが、ポルトガル人に文句を言ってもしょうがない。


↑エレファンタ島の船着場と島はミニ列車で結ばれている。
 
↑第一石窟の入り口。

↑映りが悪いが奥に三面像が鎮座する。

 出口に行くとステンレス製の水がめを頭に載せた老婆が「写真を撮って」という。もちろん撮ったらバクシーシ(施し)を要求される。無視してもいいのだがそこは1つ。何も持たない手でカメラを構えた振りをして、

「写真を撮ったつもり。パシッ!!」とやった。すると老婆が、
「じゃぁ、バクシーシをもらったつもり」と返してきた。

 思いっきり笑ってしまった。「落語の“だくだく”だ」と。そのままその場を去ったが今に思えばその洒落心にいくらかお支払するべきだった。痛恨。

 船で街に戻りCSTへ行った。外国人専用窓口で切符を買うためだ。ガイド本によるとここには間違いなくそれがある。しかし、世界遺産の駅だ。とにかく馬鹿でかい。この中から特定の窓口を探すというのは至難の業だ。20分たっても見つからない。ガイド本の写真を目を凝らしてみると51番窓口とある。「51番窓口はどこ?」と職員に聞くと一発だった。違う建物の2階にそれはあった。

 私はあさってに足を運ぶアウランガバードというムンバイの東にある街を基点に2つの世界遺産を巡る予定だが、そこから東に向かう切符がとれていない。ニューデリー行きはとれたのだが本当はもっと東に行きたい。最後のより所がこの窓口というわけだ。外国人のために特別の枠があるらしい。立川志の輔師匠の「みどりの窓口」に出てくる「知ってるわよ。政治家用に席が空いてんでしょ。それちょうだい」っていうのと似ている。窓口でお目当ての切符を買うことができた。アウランガバードから北へ6時間のジャガルオンからネパール国境付近のゴラクプールへ24時間鉄道旅の切符だ。Sleeperクラスしか空いていなかった。むしろその方がありがたい。

 ここでふと考えた。私は再三、世界遺産の入場料が外国人と現地人で大きな差があることについて人種差別的であると文句を並べた。しかし、この外国人専用窓口もそれにあたりはしないか? 入場料については外国人側、鉄道切符については現地人側から不満がもれるはずだ。「差別的だ」と。都合のいい時だけ利益に与り、不利な時に文句を言うではバランスを欠くというもんだ。私はこのサービスを利用してしまったのだし。わけがわからなくなってきた。入場料格差は正しいのかな? 結論が出ない。実はこういう状況に立たされるのが個人旅行の楽しみの一つなのである。これがパックツアーなら考えにもおよばない。こういう思索がことのほか好きである、これが旅行を実感する瞬間だと思える人にとっては個人旅行が性にあっているということになる。私はこっちだ。

 それにしても鉄道窓口の職員って何であぁも偉そうかね。こっちはこういう厳しい社会だからホワイトカラーの商売に就いたらその時点で勝ち組なのね。もうペコペコする必要がないの。どっちが客だ?って不快に思うことが多い。この窓口で445Rの切符を買ったのは説明したとおり。500R札で払った。切符と50Rが帰ってきた。おいおい、5R足りない。たった5Rだからといって謙虚な日本人の皆さん。あきらめてはいけません。きっちり催促しましょう!! 「へい、5R足りないよ」「待ってくれ」と言って後ろを指差した。あぁ、誰かに手配させてんだなと思った。しばらく待った。あっという間に5分が過ぎた。他の作業をすませた窓口のおっさんは、私をチラッと見ると「ホイ」っと5R硬貨を窓越しによこした。この沈黙の5分は一体何? なんでお前さんのペースにつきあわなきゃいけないの? 作業中に声を掛けようとした他の客に「今作業中!!」って怒ってたし。どっちが客だ? 私は1000Rのテントを買ってここに住み込んででも5Rを取ると決めていたのでどうってことないが、こいつに5R持っていかれるのだけは死んでも御免だ。勝ち組インド人よ。もっと額に汗して働いてくれ!!

 
↑ローカル鉄道の風景。床で寝てる!

↑これがインド名物“Doremon”ぬいぐるみだ!!

↑獅篭兄さん。インド名物POMAだよ。POMA!!

↑乗り継ぎ駅のタダールで昼食。マサラドーサ40R。皮ぱりぱり。うまかった。

 次の目的地。狭い敷地内に洗濯をするエリアがあるという。ローカル鉄道を乗りついでたどり着いたのがドービーガート。高架橋から無数の洗濯物が確認できる。日本では想像しにくいがこちらでは、洗濯や掃除は身分の低い者の仕事とされている。ここは被差別部落ということか? 近代化と共に家電が普及すると彼らはどうなってしまうのだろうか? ガイド本には中に入ると法外なチップを要求されるので高架橋から見るだけにしようと書いてあるので、見に行くことにした。高架橋からは分からなかったが近くに行ってみて分かった。その一画だけ高い壁に覆われている。被差別部落、間違いなしだろう。壁を切り取ったように小さない入り口発見。入ろうとすると、がたいのいい男が「見たいのか? 写真はダメだぞ。100Rだ」ときた。「そんなのどこに書いてねぇだろ」「これを見ろ」と入り口の壁を指差した。確かに写真はダメだと書いてある。値段表記はない。「値段は書いてないよ」「100Rだ」と引かない。しかしいくらであろうとここは観光地ではなく生活の場だ。お金を払ったら彼らは生活者ではなく見世物だ。きっぱり断ると、「50だ。30。いや20でいい」と情けないことを言いはじめた。ダメ。ただじゃないと入らない。地域互助会で決めたルールというなら払うよ。この地獄の門番が上前をはねるのは明らかだ。無視して先を急ぐ。待てよ。入り口はここだけではないはずだ。北に向かった。するともう1つの入り口が出てきた。入ろうとした。すると、また地元のあんちゃんが「入るのか? どうぞどうぞ」ときた。気がつくと3人に囲まれた。なるほど。さっきと違って今度は、見せるだけ見せて後から請求してくるというわけか。私はいやらしい笑みを浮かべて訊いた。「いくら?」と。相手は一瞬たじろいだ。手の内がばれてるというような表情か? 「100Rだ」と。やっぱり金だ。私は笑って言い返した。「ここが100? おいおい、ここはいつから“世界遺産”になったんだい?」と。すると「50Rだ。30。いや20でいい」と。話にならないので高架橋に戻った。妻から借りた双眼鏡で眺めることにした。多分彼らは社会的に相当虐げられている人たちだと思われる。こうして高いところから眺めること自体、やってはいけないことなのかもしれない。

 
↑これがドービーガートだ。

↑この壁の向こうが洗濯地域。差別的匂いがぷんぷんする。

 そういえばBS-TBSの旅番組でこの敷地内の映像を放送していたな。彼らは一体、どうやって撮影したのだろうか? 2つに1つだ。宣伝になると地獄の門番も何も言わず通した。それとも、特別価格を徴収したかのどちらかだろう。それにしたって撮影禁止の立て札を立てておきながらテレビカメラはOKなのだから明らかな二枚舌だ。もちろん奴らに順法精神など、はなから期待はしていない。しかし、普通の大人ならこの一画におどろおどろしい何かを感じ取るはずで、気軽に足が運べるところでないことくらい分かるはずだ。それを明るく楽しく爽やかに放送されては見るものに対して「あなたも気軽にどうぞ」と言ってるに等しいではないか。ミスリードだと思う。もちろん、初めて足を運んだから分かったことだが。

 インド門付近に戻る。近くにスーパーがあったのでのぞく。昨年、妻に好評だったカレーのレトルトが売っていた。空港で買うと3倍はする。ここで買おう。しかしレトルトは重い。旅は続く。最終日なら大量買いだが仕方がない。2袋に抑えておく。

 ネットカフェでいらなくなった鉄道切符をキャンセル。今晩21時に出る切符だけキャンセルできなかった。300円相当。プロ野球開幕戦の結果を調べ忘れて店を出た。

 我がホテルを永遠の日陰にする宮殿ホテル、タジマハールホテルを冷やかしに行った。かつて自分がインド人であることからホテルの入場を断られた苦い経験を持つインド最大財閥のターター氏が「ならば俺が建ててやる」と建てたのがこの超豪華ホテル・タジマハールである。ここはCSTともに1998年のムンバイ同時多発テロの標的とされた。セキュリティーチェックが空港並みに厳重だ。私は実に小汚いのだが、小汚い外国人は入場OK。小汚い現地人は絶対ダメ。外国人であるかないかが重要なのである。私の格好はぬれタオルを首に巻き、リュックを背負い、100円ショップの帽子をかぶり、半ズボン姿で汚いサンダルをはいているのだ。これでも入場OKである。ロビーから漂う香りからして最上級だ。日本食専門店があったよ。店名が“Wasabi by Morimoto”だって。なんだろうねこのワサビバイって。どうせそんな名前にするならいっそのこと“ピリッとたけろう”にすればいいのに。つまみ出される前に外に出た。


↑高等裁判所。

↑時計台。ムンバイはこんな景色にあふれている。

↑これがタジマハールホテルだ。豪儀なものだ。いい香りがする。
 
↑ひるがえって、これがカールトンホテルの部屋だ!! あなたは泊まれるか? 30度越える。

 スーパーでコーラを買って飲んでしまったせいかなかなか眠れず。天井についている大型扇風機が実に役立たずなのだ。止まるか最強かの二者択一だ。中間がないのである。寝るときに最強にしたら間違いなく風邪を引く。止めるしかない。部屋はゆうに30度を越す。寝られるわけがない。Sleeperクラスより最悪だ。これで強気の850Rとは。あぁムンバイ。私は2度と戻らんだろう。

支払金額(1R=1.65円)
CST→インド門(バス) 6R、ホテル 850R、水(2L) 25R、エレファンタ島船往復 130R、公演入場料 5R、世界遺産入場料 250R、インド門→CST(バス) 4R、ジャガルオン→ゴラクプール(鉄道 Sleeper) 445R、CST→タダール(鉄道) 4R、マサラドーサ 40R、タダール→チャーチゲート駅(鉄道) 6R、コーラ(660ml) 27R、レトルトカレー(野菜) 79.2R、レトルトカレー(チキン) 118.8R、クッキー 20R、割引 -1R、ビニール 2R、ネットカフェ 35R
合計 2046R

残高
34825円、2.3MYR、4006R、120ドル、T/C450ドル
2012.04.04 2012.04.06
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